使い続ける能面は衰えない

(日経「春秋」2013/5/26付) 美術館のガラスの中に能面が展示されている。重要文化財である。江戸時代の名匠が作った作品らしい。ところどころ塗装がはげ落ち、細かなヒビ割れも見える。これを美しいと呼べるかどうか。能面が朽ちて薄汚れて見えるのは「それが美術館にあるから」だそうだ。使い続ける能面は衰えない。それを付けて演じる人間から、息や汗、あぶら、思念などを吸い込んで能面は美しさを保つ。美術館の能面は死んでいる。舞台の能面は生きている。何百人もの歴代の能楽師が、舞っただろう。その観客の累計は何万人にものぼるだろう。無数の人間の視線が、時空を超えて能面に突き刺さっている。自分という存在は、長い線上の一点にすぎない。無形の価値が能面に凝縮している。能楽師が能面を所有するのではなく、生きた能面が能楽師を舞わせている。他の職業ではどうだろう。この日本には、美術館に送らず、次の世代に伝えたい技や知がたくさんある。
(JN) 使うものはそれを使うところで生かされていくのですね。また素晴らしいものは世代を超えて活かされて行く。そういったものを知るには、今は自宅からネットやTVを通じて見聞きすることができるが、やはり直接、光や空気を通じて感じたい。疲れたと休日、家に閉じこもっていないで、確かめに行きましょう。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO55486460W3A520C1MM8000/