「早乙女の下り立つあの田この田かな」

(日経「春秋」2013/5/25付) 東京をすこし離れれば、あちこちで田植えの光景に出あう。現代ではそれも田植え機が大活躍だが、かつてこの作業は、男も女も子どもも年寄りも総出の一大行事だった。早乙女という言葉があるくらいだから、なかでも大きかったのは女性の役割だ。「もし女性が真剣に働かなかったら米の耕作はむつかしいものであった」。民俗学者柳田国男は「明治大正史 世相篇」で、稲作にはその力が不可欠だったと説いている。かつて女たちは、いかにのびのびと労働にいそしんでいたか。「男にしかできぬ仕事はそうあるものではないが、逆に女にしかできない仕事は多かった」。男は外で仕事を、女は家を守り子育てを――。そういう家族観、男女観が日本古来の伝統のように考えるのは、常識の落とし穴であるに違いない。「早乙女の下り立つあの田この田かな」(太祇)
(JN) 女性が子育てを行っていた時間が多くある場合は、その分は家にいる時間が多くなったであろうが、そうでなければ、男女の仲での分業は生じないであろう。日本は若者が減る一方であるので、若い労働人口が減少する。その分を女性が活躍しなければならない。また子供をこれ以上減らしたくない。そのためには、子育てへの支援が大事である。この分は多くなる年寄りが支援していきたい。田植えも年寄りにお任せいただきたい。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO55450610V20C13A5MM8000/