何か大事なものが失われる気がする

(日経「春秋」2013/2/3付) 大きな電器店に行けば、カセットテープレコーダーの売り場が見つかる。「お稽古に」と、落語や謡など声を使う習い事や楽器の練習用に、探し求める人がいるそうだ。その規格をオランダのフィリップスが開発したのが1962年。年齢は50歳を超えた。全盛期を過ぎた熟年の味だろうか。日本のソニーが生んだMD(ミニディスク)は、20歳で寿命が尽きた。同社は最後の機種の出荷を3月で終了する。その小さな記事に、好きな曲を夜中に録音しまくった青春時代の記憶がよみがえった方は多いのではないか。捨てられないカセットが、本棚の隅でほこりをかぶっている。聴かないMDが、引き出しの奥で眠っている。手間さえかければ、中身を新しい記録媒体に移すことはできるけれど、そうすると何か大事なものが失われる気がする。技術進歩の寂しい一面である。
(JN) カセットテープはまだ相当数捨てられずに専用ボックスに眠っている。もう聴くこともなかろうにどうしたらよいのか。似たようなものにビデオカセットもある。子供たちが見たくない幼少期の記録である。何れも、どのような記録媒体に変換したらよいのか、捨てた方が良いのかしら。MDは小型でありがたかったが、CDに負けてしまったようである。当方もMDのストックは数十枚しかない。時代とともに新技術が現れ、それに従って消えていくものもあるが、自分の記憶も消していくようで、それが気がかりである。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO51310790T00C13A2MM8000/