新成人にこんな青春像を伝えたい

(日経「春秋」2013/1/12付) 青春と病気と貧乏、明治になってプライベートな思いをうたうようになった近代短歌の三大テーマだと、歌人の三枝昂之(たかゆき)さん。病気は正岡子規、貧乏は石川啄木。そして青春が与謝野晶子である。「ゆあみする泉の底の小百合花二十(はたち)の夏をうつくしと見ぬ」。病気とも貧乏とも無縁、若き肉体を誇って青春の奔放のただ中にいる与謝野晶子の発表されていない歌が岡山県でみつかった。こんな一首がある。「街行けば涙ぐまるるおもひでの必ずわきぬまづしきがため」。思わず涙ぐむような貧しさの思い出。知らないと啄木の方に分けてしまいそうな歌もまた、青春を顧みる率直なまなざしが詠ませた、歌人の全貌をかたちづくる小片なのだろう。作家の佐藤春夫は晶子の歌にあらわれた「超凡脱俗、純真な為人(ひととなり)」に敬慕の意を示して「豪傑」と呼んだ。この豪傑、自分を神としその神に自ら奴隷として奉仕しているのだという。3連休、新成人にこんな青春像を伝えたいと、ふと思う。
(JN) 平成生まれの若者たちの青春像はどのようなものであろうか。還暦近い当方とは違い、未来は永遠にあると、叶えたいことが山ほどある事であろう。恋にも悩んでいる事であろう。その若者たちには希望を持ち大いに悩み、仲間と議論し、また広く遠い世界へ出でて行け、と言いたい。懐は寂しくとも、心は豊かに持ちたい。そのためには、互いが信頼できる社会であることである。御人好しの日本人の発想かもしれないが、そうではない。俗っぽい言い方をすれば、資本主義は信用で成り立っているのである。国家主義的表現であるが、若者よ、落ちてしまった日本の信用を取り戻すようにしよう。そのためには何をすればよいのか、大いに悩み、仲間と議論しよう。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO50537000S3A110C1MM8000/