大学は月給とりをこしらえて威張っている

(朝日「天声人語」2012年12月9日) 赤シャツといえば、漱石の小説「坊っちゃん」に出てくる嫌みな中学教頭だ。時は明治、学士様の値打ちは今と比べものにならないとはいっても、子規は〈孑孑(ぼうふら)の蚊になる頃や何学士〉と揶揄(やゆ)したような一句を詠んでいる。諧謔(かいぎゃく)のセンスはこの人らしい。ところで昨今は、漱石らが聞いたら戸惑うような学士が急増しているそうだ。先の本紙記事によれば、50年ほど前には文、法、工、経済などおなじみの25種だったのが、今や何と700を超えた。何を学んだのか分かりにくいものも多い。専門家は「日本の大学が変な学位を出して、世界から低く見られないよう自覚を促すほかない」と憂える。大学は乱立、学位は撩乱(りょうらん)。漱石が「大学屋も商売である」と言い、「大学は月給とりをこしらえて威張っている所」と嘆いた人だ。少子化の時代に最高学府はどうあるべきか。三途(さんず)の川に糸電話を張って尋ねてみたい、きょう漱石忌である。
(JN) 能力者でない限り大学は必要な教育研究機関である。大学は凡人のために教育課程と職場を準備している。習う方も、教える方も、機会を与えている。市民として納税できる月給取りを輩出しなければならない。能力があれば、そこでの機会は必要なく、大いに様々な世界で活躍できる。漱石のような能力者はそれほどいるわけではない。また、通常でないものはこの機関は能力者を排除さえする。漱石はそんなところにいたくなかったのであろうか。
http://www.asahi.com/paper/column20121209.html