最高指導者を選ぶ仕組みが200年以上も変わらずに続いている

(日経「春秋」2012/10/27付) ボクシングになぞらえるなら、最終ラウンドも残り1分を切ったのに判定が全く読めない。10日後に投票が迫った米国の大統領選挙、大接戦だ。いや、泥仕合かも。歴史を振り返ると、米大統領選そのものは実に整然と行われてきたことに気づく。第1回と第2回の間隔こそ3年だったが、それから後はきっちり4年ごとだ。内戦があろうが、恐慌が起きようが、世界大戦のさなかだろうが、このリズムは崩れない。だから過去の大統領選が何年にあったか、言い当てるのは簡単だ。今年を基準にして、4の倍数を引いた年になる。1300年も前にまとめられたとされる歴史書が伝わる日本からみると、米国はとても若い国だとの印象を抱く。しかし、最高指導者を選ぶ仕組みが200年以上も変わらずに続いている国は、決して多くない。その意味では世界で指折りの経験を積んできた国といっていい。たとえ泥仕合だったとしても、意義は深い。
(JN)日本の戦後民主主義は日本独自で作ったものではないと逃げ道はあるが、未だに日本の国民には民主主義が根付いていないので、碌な政治家が育ってこない。直接選挙のところは、アホな都民がアジテーターに票を入れる。国民の手が届きにくい議会制の長は、妙なバランスの下で決まっていく。国民はもっと自由に物事を考えられないのか。議論がきちっとなされず、マスコミに誘導される。御上に任せる風土は続くのか。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO47745910X21C12A0MM8000/