18歳という若さは留学時の平岡と重なり合う

(日経「春秋」2012/10/26付) 最初に野球殿堂入りしたメンバーをみると、沢村栄治正力松太郎らに交じって平岡熙(ひろし)という人がいる。「日本野球の祖」とされる人物だ。渡米を16歳のとき、チームの心をひとつにして白球を追う異国のスポーツのとりこになったのだろう。足かけ6年の留学後、東京の新橋停車場内に運動場を設け、そろいのユニホームの本格的な野球チーム「新橋アスレチック倶楽部」を結成した。花巻東高の大谷翔平投手が米大リーグに挑戦することになった。18歳という若さは留学時の平岡と重なり合う。見たこと、触れたことを自分のものにする力が一生のなかでも旺盛なときだ。一流選手の技やプレー姿勢を貪欲に吸収してほしい。それが日本球界の財産にもなるだろう。海外経験が日本のためにもなると、歴史は教えているのだが。
(JN)このドラフト制度は、その有用性がどの立場からも中途半端である。本来、そのシーズンの下位チームから指名していくことで、戦力の均等をさせることを目的としていた。そこをまず見直し、万年最下位チームを生まないようにしたい。また、米国リーグへの挑戦希望者については、その希望を叶えられる枠を考えることであろう。米国リーグ希望者について、日本のチームが所属の指名ができるが、次年度の米国での指名があった場合には移籍ができる方法を編み出して欲しい。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO47698280W2A021C1MM8000/