何が何でも犯人を挙げようと焦りすぎたのだろうか

(日経「春秋」2012/10/23付) ハッカーと聞けば、今は誰もが不気味な犯罪者を思い浮かべる。ハッカー文化の発祥の地は、米国のマサチューセッツ工科大学(MIT)だといわれる。大学の記録に残る歴代ハッカーの“犯罪歴”が面白い。学内のドームのてっぺんに一夜にして実物大のパトカーが乗っていたり、エレベーターが突然おしゃべりになったり。あるはずのない「錬金術学科」が公式書類に載っていたり。いたずらの伝統は受け継がれている。MITの当局者は「もちろん違法行為だ」と険しい顔だが「犯人捜しはしない」と目は笑っている。日本の警察が誤認逮捕の大失態を犯したのは技術を軽視したからか。それとも何が何でも犯人を挙げようと焦りすぎたのだろうか。
(JN)警察は、犯人を捕らえるのではなく、誰かを犯人にして点数を稼ぐという、間違った目的を持っているのではないか。自分たちの眼には間違いがないんだ、という驕りがないか。世の中の進歩に気が付いていないのか。また、その前提となるのが事件が起きないようにすることであろうが、事件が起きてからの受身行動ではないか。このように思われてもおかしくない現状である。我が国の優秀な警察はどうなってしまったのか。化石化しているのか。相手は悪気のないいたずらではなく、悪質な犯罪行為である。このような連中を警察は笑われたままで良いのか。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO47572590T21C12A0MM8000/