世界共通のルールの下で戦っている

  • (日経/春秋 2012/8/12付)五輪の競技、日本選手の勝負は気になるけれど、にわか仕込みの知識で観戦する身には、「へえ」の連続である。言葉も文化も違う国々から人間が集まり、初対面の者どうしでも成り立つのは、世界共通のルールの下で戦っているからだ。競う選手たちが国際ルールという見えない絆を共有していることに気づく。知力や学力の尺度はどうだろう。文部科学省は、「国際バカロレア(IB)」制度を、日本国内にも広げる方針だという。2011年度の日本人のIB取得者は、たった451人。IB資格を取れる高校は、日本にまだ16校しかない。IB校の勉強量は半端ではない。大学生も顔負けの課題と卒業論文をこなし、課外活動やボランティアも採点される。暗記だけが得意なガリ勉型では歯がたたない。ハーバードやケンブリッジなど世界の大学が人材を探してIB校を訪れるが、日本の有名大学は来ないそうだ。世界とは違うルールで戦っているに違いない。
  • (JN)資本主義は常にグローバルな資本を要求する。いつまでも自分たちの都合良く、閉じたり開いたりできない。島の中に閉じこもりじっとしているならば、日本基準でよいであろうが、諸外国のもの言うためには、世界基準に応えられる実力を育成すべきである。弱きものがさらに弱きものをいじめるような社会では心は外へ向かわない。コップの中でのいじめを見過ごして、更に小さなコップを守るのではない能力組織にしよう。仲間や弱きものを大事にし、外に向かって押し進むように、我々は具体的な目標を立てていかねばならない。

http://www.nikkei.com/article/DGXDZO44877290S2A810C1MM8000/