120年前の今日、鉄道敷設法が公布された

  • (日経/春秋 2012/6/21付)120年前の今日、公布された法律に鉄道敷設法がある。今後整備すべき約30の鉄道路線を一括で指定したものだ。これが大正の末ごろに約150路線も一気に増える。政治家の「我田引鉄」の結果だ。この路線のなかには、実現していれば都市の姿を変えただろうといわれる鉄道計画もある。当時の東京市郊外を結ぶ第2の山手線、東京山手急行電鉄だ。今の山手線が環状運転を始めた2年後の話だ。大井町を起点に杉並、板橋、千住、小松川と現在の23区の外周部を走る予定だった。立体交差で踏切なしという当時では画期的な計画だったが、資金難で挫折する。昔も今も考えることは同じなのだろう。環七と環八の道路の地下を使って環状に走る鉄道計画のことだ。メトロセブンエイトライナーと呼ばれ、世田谷区や江戸川区など沿線各区が実現を求めている。建設費が膨大だから、なかなか前に進まない。第2の山手線は今回も難しいのだろうか。

=>(JN)「我田引鉄」、新幹線の路線も曲げられる政治家の力を有意義なことに集約できないものか。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO42845280R20C12A6MM8000/