経営者は分岐点のサインに気づかなかった

  • (日経/春秋 2012/6/15付) 青に見えたり、紫に見えたり。アジサイは咲く場所や時期によって、虹のように色が変わる。「ダンスパーティー」という品種がある。開発されたのは18年も前だが、なぜか昨年になって人気が爆発した。はじけるように広がる華やかな咲き方が、くるくると回って踊る人々のドレスのようだ。元気な動きを感じさせる花が売れるのは、この国を覆う重苦しい空気と無縁ではあるまい。経営不振が続くある会社で、社員が会社を「うち」と呼ばなくなり、「この会社」と言い始めた時が、転落の始まりだったのではないか。人々の顔色は少しずつ変わっていたが、経営者は分岐点のサインに気づかなかった。「紫陽花やはなだにかはるきのふけふ」。正岡子規に、時の移ろいを詠んだ一句がある。物事の変化はゆっくり進むのが常だが、青とも紫とも呼べない途中の過程にこそ、目を凝らしたい。言葉では語れない色調を読み取るのが、人の上に立つ者の責務であろう。子規はこうも詠んでいる。「紫陽花やきのふの誠けふの嘘」

=>(JN)気持ちが離れると、自分たちを三人称にしてしまい、私はここのものではない。責任も無いとなってしまうのであろうか。私たちの中に、「この大学」て言っている人いるかしら。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO42622930V10C12A6MM8000/