城山と町の近さが 240715

 松山の土砂崩れに『春秋(240714)』は思う▼夏目漱石は松山では「愚陀仏庵」と正岡子規が名付けた家で交流を深めた。これは第2次大戦の空襲で焼失した。後に、城山の中に再建されたが、豪雨による土砂崩れで全壊し今日に至っている▼それは2010年7月12日であった。その14年後、場所こそ別だが同じ松山城の崖が崩れ民家を襲った。ふだんは町の魅力でもある城山と町の近さが、時に災厄をもたらす現実がある▼路面電車、温泉、商店街、句会などの文化的土壌。山の木々は美しい。だが、いったん倒木になれば建物を壊し命を脅かす。町の誇りを災厄の源にしない不断の努力がいる。もちろん他の町にとってもひとごとではない。
 (私は)17年前の松山に行った。松山城はその坂、急であった。春先であったが汗だくで上った。「愚陀仏庵」ものぞいた。記憶によれば、城山の中というより、下の方にあったように思う。山多き日本、山を理解して生活することが必要なのであろう。自然を抑え込むのではなく、共存していく努力をしたい。