『#菊池寛忌』

『#菊池寛忌』<2022年3月6日(日)>
 本日(3月6日)に亡くなった菊池寛を『有明抄(220306佐賀新聞)』は思う。◆「文藝春秋」の創刊間もない頃、執筆回数が多かったのが芥川龍之介直木三十五。若くして亡くなった2人への恩が忘れられなかったのか、1935年、芥川賞直木賞を創設◆芥川龍之介は有名だが、直木を知る人は少ない。本名は植村宗一。執筆活動を始めた31歳の時、筆名を「直木三十一」とした。植村の「植」を「直」と「木」に分解し、年齢を名前にした。以後、年を取るたびに数を増やし、「直木三十五」で落ち着いた。生活は派手好き。若い頃から借金を重ねた◆菊池とのエピソード、ある年の冬、貧苦に耐える直木が薄着だったのを見かね、菊池がマントを貸した。羽織った直木がふとポケットを探ると、数枚の10円札が入っていた◆人生は助けたり助けられたりだが、できれば菊池のように、友情とさりげない優しさを大切にしたいと思う。
 (私は)文学に程遠く、菊池寛という人をよく知らない。「文藝春秋」を毎月、図書館で拾い読みする程度の私には、様々な才能や精神を理解していない。人々の心を惹いたの彼の力は何であろうかと考え、そして、十数年前の高松の街中の銅像が記憶に甦った。
#菊池寛
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#友情

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