『燕啼て夜蛇をうつ小家かな』

『燕啼て夜蛇をうつ小家かな』<2018年5月9日(水)>
 「蕪村(ぶそん)の句に「燕(つばめ)啼(ない)て夜蛇(へび)をうつ小家かな」がある」。『余録』(180509)はツバメとの共存共栄を思う。「ツバメは人が洞窟で暮らした大昔から、人目のあるところに巣を作ってヘビやカラスなどの天敵から身を守る策をとってきた▲一方、人の方でも害虫を食べる益鳥として歓迎しただけではない。ツバメの巣は家に幸福をもたらすという俗信は西洋にも東洋にもある。・・・そのツバメの減少が話題となる近年である。数年前の調査では、都市部で衛生上などの理由で巣を取り払うケースは農村部の7倍の比率にのぼった。・・・今やその人間も、古くからの友が運んできてくれた幸福のかけがえのなさに気づき始めた。あすから愛鳥週間である」。
 (JN) ツバメは暖かさとともにやってくる。今年は早かったような思いがある。いつ頃だろうか、鳴き声が早々と聞こえた。そして、今は駅ではツバメの糞に注意が出ている。半世紀ほど前は、海抜100メートルの我が田舎には、家の中にツバメが巣を作っていた。玄関大戸の近くにあり、朝早く、祖父さんが大戸を開けると、待っていた親ツバメが餌を探しに飛び出して行く。土間という空間とともにツバメの巣があったが、いつ頃から、その巣は無くなったろうか。50年の間に、住んでいる者が3代入れ替わり、土間や大戸がなくなったころからだろか。建物や生活様式が洋風化し、自然との和が保てなくなってしまった。ツバメだけでなく、スズメの姿も、少なくなったような気もする。都心は、図々しいハトやカラスの天国になっている。鳥さんたちは鳥瞰できる能力がある。彼らはあの高いところから我々をどう見ているのか。愚かな者に見えようか。