『「あしたのジョー」を、明日まで待てないんだ』

『「あしたのジョー」を、明日(あした)まで待てないんだ』<2018年2月16日(金)>
 三島由紀夫講談社をお訪れ、こう言った。「『あしたのジョー』を、明日(あした)まで待てないんだ」。早く続きを見たい。『春秋』(180216)は、三島由紀夫を事例に、「そんな気持ちは今も昔も変わらないということか。インターネット上には人気漫画を発売日よりも早く読ませる『ネタバレサイト』があるそうだ」と。そして、「一時は乱立していたが、警察が摘発に乗り出し、最近では収まっているという。だが『早読み』とは別に、無許可で漫画をネットに掲載する海賊版サイトもある。ネット上の不法行為が日本のキラーコンテンツを衰退に追い込んでしまわないか。『ジョー』に熱中した泉下の三島も、さぞ憤っているに違いない」と。
 (JN) 本当に続きが楽しみであった。週刊誌にしてもテレビにしても、見終えると直ぐに来週が来ないかと思ったものである。この楽しみは、唯で得られれば、なお嬉しいが、それで良いのか。良くはない。商品経済のこの世の中、その価値は価格である。その価値を認め、その価格を支払って、喜びを得なければならない。それが崩れていくとなると、国は法を持ち出してくる。それにより、思わぬ規制も生まれ、私たちの行動の自由は知らぬ間に無くなっていくのである。私たちは、行動の自由を守るために、自主的に不正に対して闘うべきではないか。うまい話には危険がある。とにかく、互いの労働を認め合うことを私たちは守らねばならない。それはその価値を購入することである。そしないと、お国は、何々を守ると託けて規制をかけ来る。唯ほど高くつくものはない。「ジョー、それでいいのか?」