『武道の極意は「戦わず鎮める」にある』

『武道の極意は「戦わず鎮める」にある』<2017年9月10日(月)>
 「万一、北朝鮮から日本にミサイルが撃ち込まれた場合、どうするのか」。『春秋』(170910)は、「専守防衛・・・。そもそも正確な察知ができるのかどうか心もとない限りだ。日本の混乱をよそに、きのう建国記念日を迎えた北朝鮮には、挑発の矛を収めるような兆しは見受けられない。武道の極意は『戦わず鎮める』にある。戦いが招く結果を理解する判断力が相手に求められるから、難題には違いない。それでも北朝鮮を対話の場へ誘い出すため、制裁強化へ各国の足並みをそろえるしかない」。
 (JN) 戦争のために必要な経費を吊り上げていく国家へ、各国は民互いにつながりを持ち、連帯を組んで反対をすべきである。こんなものは危険なだけで、何の安心にもつながらない。と思う一方で、古い私が国とは軍隊と警察が基本だと。皆さんはどう思われるか。その国を支えている為政者は本当に国ことを考えていて、軍事を考えているのか。単なる自分の就職先で、それを守っているの過ぎないのではないか。あるいは危険なゲームをしているのではないか。彼らは民主主義の無力さを忘れていないか。第二次大戦前、経済的圧制でドイツや日本がどんな行動をとったのか、過去の経験を活かすことのできない政治というものの無力さを感じる。とにかく人々を戦火の中に巻き込まない賢い行動をするには互いが閉鎖的である限りできない。互いの懐をオープンにして、信用を持ちあえるようにせねばならない。地震対策でヘルメットを準備するようになってきたが、これを戦争のためのものにしたくない。