『抗日・反日は中国における「ナショナリズムの気付け」』

『抗日・反日は中国における「ナショナリズムの気付け」』
 「威信をかけて演出した『北京秋天』」、朝日「天声人語」(2015年9月4日)は、その「『偉大な国』の演出」に意見する。「『北京の秋空が美しかった』と43年前。時は過ぎていま、北京は大気汚染で世界に知られる。昨日の北京は、しかし街が青ずむほどだった。この日のために号令し、威信をかけて演出した『北京秋天』だったと聞き及ぶ。『抗日戦争・反ファシズム戦争勝利70周年』が式典だけでなく、大規模な軍事力の誇示と一体になる。経済は減速し、格差は縮まらず、汚職は蔓延する。民衆の不満がときに各地で噴き出す中、『偉大な国』の演出で政権への批判はそれていく。『忠臣蔵は芝居の気付け』という諺、不入りなときに客足を取り戻すなら切り札は忠臣蔵。なぞらえるなら、抗日・反日は中国における「ナショナリズムの気付け」であろう。冒頭の「秋空」、田中角栄首相が周恩来首相との固い握手は記憶に残る。」
 昨日の北京、1940年代前半のドイツ帝国を思い出すような軍隊。ナショナリズムは様々なパワーを与えたものである。先進的なワイマールは国家主義独裁政権に流れて行ったように、共産主義は枠をそのままにして、為政者の都合のよい共産党ファシズム政権は経済力により強大になった。権力、名誉および財力等を一部の者が独占し続け、その不満は昨日も周辺地域で騒動が起きていた。お膝元の北京でも、この日のために規制がなされ、お天気まで北京晴れを強制されたと。誰かが言っていたが、これこそファシズム。さて、そんなお天気の下、習さんの隣を見ると、朴さんがいる。嘗ては、朝鮮戦争で敵同士であった両国が仲が良いとは素晴らしい。否、共通の敵の日本のおかげで並んでいるだけか。否、ナショナリズムはあくまでその政府のためであって、私たち国民のための気付けではない。あの為政者のために軍隊が必要であるが、私たち国民には要らない。あの軍事パレードの品々と汚職を他の資本に使えば、中国は「偉大な国」にもなれるであろうに。(JN)