電話、かかってくるのも特別なことだった。

(日経「春秋」2014/6/2付) 黒電話の、あの重厚な存在感は侮れない。なぜか玄関に置く家庭が多かった。人間を威嚇するように、けたたましくベルが鳴った。姿を消したのは、昭和の後半だろうか。色が黒である理由は謎である。米AT&Tが開発した1号機から基本は黒だった。当初はかけるのも、かかってくるのも特別なことだった。受話器から伝わる音は大切だった。人々は耳を澄ませて相手の声を聞いた。それに比べて最近のスマホや携帯は、何と身近な機械になったことか。便利ではあるが、その分、生身の人間の声が軽視されている気がしてならない。じっくり人の肉声を聞き、急いで文字を書くのが仕事の我が身に照らせば、電話の進化が逆方向だと感じる時がある。自分が発信するのは大好きでも、他者に耳を傾けるのが苦手な人が増えてはいまいか。もっと音声がリアルな電話があれば、聞き上手が増えるかもしれない。生の声と対話にあふれる社会であってほしい。
(JN) ダイヤル回して、「もしもし」。今では、電話もテレビもラジオも、回さない。アナログからデジタルへ、そして、一家の財産から個人の所有物になった。昔は、デートに誘うのに、電話はハラハラであった。当人が出なくて、父親が出たらどうしようか、などと考えながら、セリフを数種類用意して電話したが、今はそんな心配はないのだろう。電話番号だって、昔は覚えていたものだが、今はそんな必要もない。また、相手がどこに居ようとかけられるので、何時ごろかければよいかの心配なく、一方自分にも同様に先方の都合でかかってくる。何だか、静かに籠ることもできず、電波に追われている。私たちは、電子に支配されているのか。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO72128440S4A600C1MM8000/