最近、ふと尊徳翁を思い浮かべる

(日経「春秋」2014/1/27付) 薪を背負って歩きながら本を読む少年――。それなりの年齢に達した日本人なら一度は目にしたことがあろう。全国の小学校の校庭などに陸続と建てられたのは大正のころからという。刻苦勉励して立身出世をとげ、世のため人のために尽くす。「坂の上の雲」を目指した近代日本の理想の人間像を体現していた気がする。高度消費社会とか成熟社会などと形容されている21世紀の日本には、いまひとつそぐわない人間像なのかもしれない。最近、ふと尊徳翁を思い浮かべることが少なくない。一心不乱に手元を見つめて歩いている人を、よく見かけるのだ。歩きスマホだ。目につくのはむしろ、身の回りへの注意力の低下だ。線路に落ちたり、柱にぶつかったり。スマートは「賢い」の意味だが、使われ方がスマートとはとても言えない。尊徳翁なら、何と言うだろう。
(JN) 日々、スマホに一生懸命な学生との異常接近がある。なるほど二宮尊徳のようにバックパックを背負い一心不乱に小さな窓をいじっているが、危険極まりない。過日、エスカレータで登っている時に、スマホとにらめっこしている学生がのぼりエスカレータに入ってこようとした。思わず、ブザーが鳴る前に「危ない」と叫んでしまった。そして「スマホより前を見ろ」と続けた。狭い世界に一生懸命になっているのが、いったい何を見ているのか。若者よ前を向け、電子媒体の仮想空間より、坂の上の雲を見よ。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO65911600X20C14A1MM8000/