理性に服従しなければ、ばかである

(日経「春秋」2014/1/15付) パスカルに、「記憶は、理性のあらゆる作用にとって必要である」と。その記憶をくすぐられるのが東京都知事選である。1000万有権者がたった一人の当選者を決める都知事選は、とらえようによってはこの国最大の選挙だ。だから名をなした人物が出馬して何の不思議もないのだが、「そういえば」と昔をいろいろ思い出してしまうのである。細川護熙氏は、そういえば不明朗な1億円の借金について責められ、就任9カ月で首相を辞めた。それでムニャムニャ、というのも猪瀬直樹都知事二重写しになる。自民党が応援する舛添要一氏は、そういえば一度は党を除名になった身である。こちらもムニャムニャ。人気を誇った元首相と勝ち馬に乗りたい自民党という看板を背負って、2人が選挙戦の軸になりそうだ。でも、記憶から引っ張り出してきた2人の姿には、理性が納得しないしこりがある。パスカルは「理性は高圧的にわれわれに命令する。理性に服従しなければ、ばかである」と言う。
(JN) パスカルは理性を第一にお考えだが、一般大衆は知名度が大事だ。知事が変わってどれだけ自分たちの生活が変わるのか。変わりゃあしないなら知っている人、有名な人だ。それからそう原発はいけない、否必要だなんてことで浮動票は動くのかな。とは言っても浮動票以外は理性で考えているわけではないだろう。主体的ではない様々な関係で投票をする。自分たちが自分たちの知事を選び都政を変えようと訴えたいが、まだまだ日本の文化と一般大衆の精神はそうではない。「ばか」と言われたくないが、そんな過去より有名人だとは。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO65324580V10C14A1MM8000/