咄嗟だからこそ、人の一番奥に潜むものがのぞく

(日経「春秋2013/10/3付) A・ガードナーという英国のコラムニストが書いている。「人間というものは、いくつかの習慣に上着とズボンを着せたような存在である」(行方昭夫訳)。しかし、そこに割り込んでくる何事かも、またある。父の会社で働き、父の運転する車でともに外回りをし、会社に戻る道々遮断機が下りた踏切で電車が通り過ぎるのを待つ。そこまではいつもとなにも変わらぬ日常だっただろう。だが、そこで村田奈津恵さん(40)は線路に横たわる男性(74)を見つけ、車を飛び降りて踏切内にはいり、男性を救って自らは命を落とした。「助けなきゃ」。父が止めるのを振り切った奈津恵さんの、それが最後の言葉だという。咄嗟(とっさ)だからこそ、人の一番奥に潜むものがのぞく。糸井重里さんに「ひとつ やくそく」という詩がある。「おやより さきに しんでは いかん/おやより さきに しんでは いかん/ほかには なんにも いらないけれど/それだけ ひとつ やくそくだ」。子を思う親の真情はいくつになっても変わらない。目の前で娘を失った父の無念もまた、思わざるを得ない。
(JN) 大変に辛く重い。人として、親として子供とともに育って行く。村田奈津恵さんは人のことを思う人間として大人になった。でも、このようなことになるとは。この場面で、何人の人たちがこの時間を共有していたのであろうか。それぞれに辛いこととなった。それ以上には申しようがない。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO60546520T01C13A0MM8000/