無名の眼 240401

 コラム担当について『有明抄(240330佐賀新聞)』は思う◆作家の沢木耕太郎さんは「どこかで父を畏れていた」と。畏れを感じていたのは膨大な知識◆作家になってからも、世の中には、たとえ「無名」であっても父のような人がいる◆読者の中には、無名であっても畏れを抱かせる人がいて、薄っぺらな美辞麗句を並べても見透かされる◆そうした読者の眼を意識しながら、浅学非才を必死に隠して原稿と向き合ってきた。この欄を担当したのは1年に約200日、3年で600日。朝のせわしい時間に付き合っていただき、感謝の思いしかない◆新聞コラムは、付け焼き刃で知ったかぶりもしたが、「無名」の厳しい眼は優しさを併せ持ち、ときに励ましの言葉をくれた。思い出の宝箱に入れて、ふたを閉じる。
 (私の)知識は薄っぺらで向こうが透けて見えるようだ。知識を少しでも増やせないか。しかし、安易に、すぐに楽に、と思いハウツー本を読み更に薄っぺらになる。愚かである。このBlogは、沢山の目に触れているのだろうか。新年度にあたり、人の眼を気にし、人の心を思う。浅学でがんばるか。皆さまにはご指導よろしくお願いします。