『帰郷して思う』

『帰郷して思う』<2018年8月17日(金)
 お盆の時期、故郷へ帰り思う。『春秋』(180814)は文人の言葉を紹介する。「血につながるふるさと 心につながるふるさと 言葉につながるふるさと」(島崎藤村)。「ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの」(室生犀星)。「ふるさとは語ることなし」(坂口安吾)。そして、「近年は地方を取り巻く現実がどんどん厳しくなり、故郷そのものの消失を招きかねない時代だ。・・・若者の姿はすっかり途絶え、先祖の墓には夏草が生い茂る。久しぶりに老親と話しこんで、もしや認知症かと異変に気づく……」。
 (JN) 私が育った故郷は東京である。多摩地区であったので、結構自然があったが、今は住宅だらけである。駅前の商店街はずいぶん変わってしまった。その頃は、銭湯と産婦人科が数件あったが、今はない。代わってデイサービス等の高齢者向けの施設が現れた。神社は残っていたが、木が少なくなった。故郷に心のつながりがあるだろうか。故郷は遠くない。でも語ることはありそうだ。「近所の仲間はどこへ行ったのか。残っているのは彼らの家と、名前を呼んでくれる彼らの老いた親たち。そして猫と戯れる」。