小説を仕上げるまでの「日頃の地味な勉強」

(日経「春秋」2013/10/1付)
 山崎豊子さんが「花のれん」で直木賞をとったとき、かつて上司だった井上靖からお祝いの言葉が速達で届いた。「直木賞受賞おめでとう/橋は焼かれた」。その一言に覚悟を決め、山崎さんは新聞社を辞めた。「白い巨塔」「華麗なる一族」「不毛地帯」「沈まぬ太陽」。社会や組織の矛盾や暗部、つまりは戦後日本の実相そのものが、主人公の名や場面場面とともに浮かんでくる。それだけ読まれ、あるいは映画やテレビドラマにも繰り返しなったということだ。山崎さんが小説を仕上げるまでの「日頃の地味な勉強」の一端を披露している。国会の議事録で、自民党幹事長が喘息(ぜんそく)の治療のためたびたびハワイへ行っていることを見つける。変に思って懇意の医師に尋ねると、花粉の多いハワイは喘息には悪いはずだと教えられる。ならどうして。疑いがふくらみ、また勉強が始まる。取材を積み重ねていくエネルギーはなまなかではない。その厚みが、現実とフィクションのあわいを時に忘れさせる迫力になった。33歳の女性の背を押した井上靖には私たちも感謝しなければならない。焼かれた橋の向こう側で生み出された線の太い作品群を夢中になって読めたのだから。
(JN) 一つの作品ができるまでのその妥協しない行動を見習うねばならない。好い加減節の私には、及び難いが、その一端でもと思うが、逃げるために橋を作ることばかり一生懸命では、不毛な考えであろうか。恥ずかしながら、山崎豊子さんの本は背表紙を眺めるだけで、あとはテレビドラマで見ただけである。これまでは読むのを逃げていたが、これを機会に、本棚からまずはどの作品かを選ぼう。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO60432400R01C13A0MM8000/