第1号燃料棒大半溶融 

  • (日経/春秋)16年前のきょう上九一色村は異様な雰囲気に包まれていた。1995年は日本の危機管理の「特異年」だった。1月に阪神大震災、3月に地下鉄サリン事件。多くのものが失われたが、得てものもあった。ボランティア活動が根付いた。被害者の思いに共感し、社会全体で支える機運が生まれた。これがその後悪質な犯罪の厳罰化、公判への被害者参加制度の創設、時効の撤廃へとつながった。私たちは今なお「3・11」のただ中にいる。今後もまた力を合わせて乗り切って新たな教訓と知恵を次の世代に残そう。
  • (日経/社説)◆大震災後もインフラ輸出の火を消すな。◆日・EU交渉が問う規制改革。
  • (日経)福島第1、地震翌朝に大半溶融、1号機燃料棒。4号機建屋は水素爆発。