『お宮に絶望し、貫一が蹴りつけるのは、ドメスティック・・・』

<2016年12月1日(木)>
『お宮に絶望し、貫一が蹴りつけるのは、ドメスティックバイオレンスか』
 「来年の今月今夜になったならば、僕の涙で必ず月は曇らして見せる」。「天声人語」(161201)は、熱海の海岸のお宮と寛一の像への世間のやり取りを紹介する。「台座に今春、小ぶりな説明板が取りつけられた。『物語を忠実に再現したもので、決して暴力を肯定したり助長するものではありません』」。これに「女性を足蹴にした像そのものを撤去すべきだ」、「いや文芸に釈明は不要。パネル設置は余計だった」などの意見。その像の付近では「ほぼ毎日、像の前で観光客に接する。像とは逆に、女性が男性を蹴るポーズを取って楽しげに撮影するカップルが圧倒的に多いそうだ。」
 『金色夜叉』のこのシーンに、子どものころ「この男は男に非ず」、こんなことするなんて情けないと思った。今もそれは変わらない。文学についての素養のない私には理解できない。現実的に、例えば、妻にそんなことできますか。怖い怖い。でも、世間ではドメスティックバイオレンスが存在している。ドメスティックバイオレンスに、金色夜叉のこの像が世間に影響を与えているかはわからぬが、文学センスのない私には、要らぬ像であると考える。それとも、日本は女性を虐待するお国であると、世界に発信発信されるべきなのであろうか。嫌々、とにかく女性が蹴られても男性が蹴られても、宜しくはないはずである。蹴り飛ばすものは他にあるでしょう。(JN)