『身の丈にあった儀式』

『身の丈にあった儀式』<2018年12月1日(土)>
 昨日の秋篠宮の発言に『余録』(181201)は語る。「儀式の規模も『身の丈にあった儀式』が『本来の姿』だと巨額経費を疑問視した。・・・皇族が異を唱えるのは『政治的発言』と心配する声もあるが、憲法上制約のない皇族の皇室儀礼をめぐる発言だ。代替わりによる国民の負担は少なくしたいという天皇陛下と皇太子さまのかねての意向も思い起こされる。・・・十分な国民的議論をする時間のあった来年の代替わりである。論議なき前例踏襲への懸念を皇族が口にせねばならないとは……虚を突かれた主権者=国民である」。
 (JN) 日本には日本人でありながら、基本的人権がない人がいる。その代表が天皇であろうか。そして、その周辺の皇族たちもそれに近い。神輿に担がれて、黙って、決められたことをするだけの一生である。この家に生まれた男は、悲しいかなこの家から出られない。自由の物事が言えない。勝手に、好きなところへ行けない。しかし、数年前に、天皇が子に地位を譲りたいと言い。今回の秋篠宮の発言。これを良しとするのか。何れにしても、大嘗祭に何故にこんなに金をかけるのか。天皇や皇太子は、これを望んでいない。このようなことを望んでいるのは、何方様であろうか。