『洪水をみごと逃れた弥生人の「予知力」と「避難力」・・・』

『洪水をみごと逃れた弥生人の「予知力」と「避難力」、おそるべしである』<2018年7月18日(水)>
 水害対策について、『余録』(180714)は弥生時代の在り方を紹介する。「大阪の八尾南遺跡は洪水で砂に埋まったが、その竪穴建物跡には土器など生活用品が見当たらなかった。・・・どうやら洪水の直前に、家財ばかりか柱などの上屋まで運び去って避難したのだ。・・・洪水をみごと逃れた弥生人の『予知力』と『避難力』、おそるべしである。異常気象がかつてない災害をもたらす今日、あらためて問われる二つの『力』だ。・・・政府、自治体、地域、個々人それぞれに、『予知力』と『避難力』とを高める新たな取り組みが求められていよう」。
 (JN) なぜ、今回の水害でこれほどの方がなくなってしまったのか。治水を整備していても、このような被害を齎したのか。そこに長く住んでいる方々でも、わからない現実をどう考えればよいのか。私たちが、日々、自然環境を変えている以上、過去の実績では自然の猛威に対応できないのであろうか。また、自分の周りの人を把握できなくなり、情報伝達がうまくいかなくなっている。私たちは多くの知らない人たちと、近所付き合いすること少なく生活をしている。これでは、いけない。私たちは、地域・地域で、変化をしていく自ら、他人および自然を理解する努力が必要である。公的機関の助けが大事であるが、まずは、いつでも、皆と逃げられる体制を作り上げよう。