『子どもを見守る人の目』

『子どもを見守る人の目』<2018年5月16日(水)>
 新潟の小学二年生の事件に、『筆洗』(180516)は、子ども達の見守りを思う。「通学路の音は楽しい。七時四十分になると、通学路に『ジャンケンおばさん』がやって来る。・・・ジャンケンポン。勝った、負けた。そして『気をつけてね。いってらっしゃい』と声をかける。・・・『おばさん』は子どもを喜ばせながら、見守っている。なるほど、これなら子どもを見守りつつも、いかめしく監視している雰囲気にはならぬか。・・・新潟の小学二年生が殺された、いたましい事件のことを書かねばならぬ。容疑者の男がようやく逮捕された。下校途中の悲劇であったか。憤りの一方、子どもを見守る人の目のありがたさをあらためて思う。目を、声を増やしたい」。
 (JN) 日本の街から、子どもたちのにぎやかな声が少なくなった。人数自体が少なくなった上に、野外での遊びが少なくなったのではないか。自然に集まる子どもの群れはどれほどあるのだろうか。学校との登下校も子供が少なく、おせっかいのおばさんやおじさんもいないのだろうか。世の中は物騒になったのか、我が大学のボランティア学生たちは、授業の合間で近隣小学校の下校時の見守り支援をしている。どの地域でも、子どもたちを守るために、様々な努力をしているのだろうが、事件は起きる。痛ましい。なぜに弱い子どもたちが犠牲になるのか。本当に、私たちがしなければならないことは、何であろうか。それは、こういった行動を起こすことがなんであるか、それを起こさせないためにはどうすればよいのかであろう。子どもたちが自由に広場で遊べる環境づくりが大事であろう。でも、まずは皆で子供たちを見守っていきましょう。