『この国に「頭のよい人」ばかりが増えていないかと心配する』

『この国に「頭のよい人」ばかりが増えていないかと心配する』<2017年11月27日(月)>
 「製造業で相次ぐ品質検査をめぐる不正」について『筆洗』(171126)は語る。「この国に「頭のよい人」ばかりが増えていないかと心配する。効率向上、納期厳守、収益拡大。会社にとって「頭のよい」考え方が幅を利かせ、品質第一、厳重検査の愚直さ、バカ正直さが笑われていないか」。嘗て物理学者の寺田虎彦は「科学者は『頭がよくなくてはいけない』。もっともだが、その後に『同時に頭が悪くなくてはいけない』」と。それは、「頭が悪い人はそれにもがむしゃらに取り組む。結果、無駄でも、その過程で予想もしていなかった重大な宝にぶつかることがあるものだと教える」。
 (JN) 不正を行う人を筆洗は「頭の良い人」と表現しているが、これは「頭の良からぬ人」である。自社の目的や自社の理念を疎かにする良からぬ人たちである。何を第一にするか、それを疎かにして、目先の器用な行動は頭の良い行動ではない。これは、教養なき反教養人の仕業か。この世界で共存していく以上、規則を守りそして倫理観を持たねばならない。馬鹿真面目にやれば良いという。わけではないが、やはり守らねばならない一線がある。それがわかる人は「頭が良い人」かもしれない。安産第一が効率第一、否経費第一になっている。これは人よりも時間や経費の方が大事になっている。なにか、子供たちに読んだ物語を思い出す。ひょっとして、日本中、こんなことになっているのか。(『モモ』M.エンデ、岩波書店、2005年)