『#土踏まず』

『#土踏まず』<2022年6月27日(月)>
 佐賀平野麦秋から田植えの季節に移り、『有明抄(220627佐賀新聞)』は土や泥を思う。山田太一さんが、1960年ごろ、初めて東京・赤坂のテレビ局を訪ねた時、違和感を覚えたと。土がないことだった◆土がテレビ局には全くない。当時、土の感触は日常なのに、土のない場所で「人間の物語」が描かれていいのか◆田植えの季節に移り、この数日で景色が変わった。紙面では子どもたちの田植え体験の記事も目にしたが、ふだん味わえない土や泥の感触はきっと記憶に残るのではないだろうか◆足裏のへこんだ部分は「土踏まず」という。いまは、まさに土踏まずの日常を送っている。家族総出で田植えをした頃を思うと、ぬるっとした感触がよみがえる。何かの役に立ったわけではないが、「人間の物語」の中に居て足裏の記憶は大切に思える。
 (私は)土との関係が薄らいでしまっている。生活圏はコンクリートが張り巡らされ、意識しなければ土の上を歩くことはない◆散歩をしていて、土には多くお目にかかるが、田畑には入れない。公園には怪しい年寄りは入り難い◆寺社での一休みの時に、土を足や鼻で感じる。昨日は雨だったな。随分葉っぱが落ちているな。セミの抜け穴だろうか。アリが列をなしている◆「人間の物語」だけでなく、生き物や季節を感じさせてくれる。
#土
#泥
#人間の物語
#田植え
#山田太一