#将来の夢に応える環境

『#将来の夢に応える環境』<2022年2月17日(木)>
 鹿児島県の女子の大学進学率を『南風録(220217南日本新聞)』は思う。国立大学で初めて女性に門戸を開いたのは、1913(大正2)年の東北帝国大学。合格者は3人で、後に栄養学や生物化学で数々の業績を残す丹下梅子は41歳。生家があったとされる鹿児島市。3歳の時にけがで右目を失明したが勉学に励み、18歳で師範学校を出て地元で教員に。10年後に東京の日本女子大学校に進み、帝大入学につながる。男尊女卑の風潮が強かった鹿児島からこのような女性が出たことは興味深い。鹿児島県の女子の四年制大学への進学率が昨春、34%余りと全国で最下位。とはいえ大学ばかりが学びの場ではなかろう。若者のやる気や将来の夢に応える環境こそ望まれる。丹下の伝記をたどると、年齢にかかわらず、いちずに学問に打ち込む姿が浮かび上がる。困難な状況に遭うたびに頼りになる教師や縁者らとも巡り会っている。自ら前途を切り開いた人生に学ぶことは多い。
 (私たちは)多様な人々の中から能力を持つ者を見出し、世に送り出さねばならない。それは様々な環境においてである。地域、職場、研究、政治・・・・・。自分たちが生き残っていくためには誰もがわかっているが、既得権が立ちはだかる。丹下梅子さんを見習い新たな道を切り拓いていきたい。良い環境づくりを大学に願いたい。
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