『投票に時間を使えるありがたさを思う』

『投票に時間を使えるありがたさを思う』<2019年7月21日(日)>
 参院選の投票日、『筆洗』(190721)は億劫がらず、投票に行こうと語る。「本日の投票に【億劫】とはさすがにおっしゃりにくいだろう。・・・投票所に行くのが億劫。どの候補がどんな政策を訴えているのか調べ、選択するのが億劫。・・・選挙公報を読むだけなら【億劫】ほどの時間はかかるまい。どちらかといえば同じ仏教用語でも短い時間を意味する【刹那】の方であろう。米国の作家ブコウスキーが民主主義と独裁政治の違いを語っている。「民主主義は投票する。独裁政治はあなたの時間を投票で無駄にすることなどない」。投票に時間を使えるありがたさを思う」。
 (JN) 投票に行ける者が投票に行かないのは、人間としての権利を放棄していることであり、それは自らを奴隷にしていることである。大人は、自分で情報を取り入れ、自分で考え、決断し、行動をする。子供は、それを見て、自ら行動し、大人になる。私は必ず投票に向かう父と母を見て育った。でも、父は母が老化と病により、投票場へ行けなくなった。これをとても悔しがっていた。人前に、車いすやおんぶの自分の姿を他人に見せたくない。大体、もう新聞も読めなくなり、自分で確かめたれない。投票所へ行くことが億劫ではなく、情報収集決断ができなくなったのが悔しかったのであろう。投票に行けるのに行かない人々は、何が億劫であるのか。とにかく、決めて実行することが大人の最低限の行動だ。
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