『検察の出頭要請を拒否していた男の「言い訳」』

『検察の出頭要請を拒否していた男の「言い訳」』<2019年6月25日(火)>
 「言い訳」について『筆洗』(190625)は申す。「作家の言い訳にはユーモアや哀感が漂うが、検察の出頭要請を拒否していた男の『言い訳』には腹が立つ。・・・『朝早いので出頭できない』『ぎっくり腰になった』『刑務所に入ったあとの生活費を稼ぐため県外にいる』。こんな言い訳で出頭要請をかわしていたらしい。検察も甘くみられたものである・・・事件発生の周知も遅れ、厳しく批判されている当の検察も同じである。・・・『(事件の)検証に支障が出るため差し控える』。・・・検察官志望の子が減らぬことを祈る」。
 (JN) 良い訳とはどんな意味を持っていたか、それを言うときりがないと言い訳してしまう。そんな意味の良い訳を、人生の中でをどのくらい言ってきたであろうか。どんなに訳があろうと、なんだか情けない。言い訳は能力のない輩ほど、言い訳を並べるか。悲しい限りである。この言い訳、一度しか通用しまいというか、通用しないのにまた使ってしまう。「急にね。仲間から飲みたいと言われたので」「30分の約束だったのだが、気がついたら3時間経っていたんだ」「1杯の約束だったのだが、いっぱい飲んでしまいました」・・・だめだね。

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