『犯罪多発に悩むニューアーク、警察当局のカメラ・・・』

『犯罪多発に悩むニューアーク、警察当局のカメラ映像をだれでも見られる』<2018年6月29日(金)>
 「通常、映像は公開されないはずだ。しかし犯罪多発に悩むニューアークの警察は発想を変えた」と『筆洗』(180629)はニューヨーク・タイムズの記事を伝える。「通常、映像は公開されないはずだ。しかし犯罪多発に悩むニューアークの警察は発想を変えた。当局のカメラ映像をだれでも見られるようにし、『怪しい出来事を通報してほしい』と呼びかける。歓迎の声が上がっているという。一方で批判もある。・・・オーウェルが名作『一九八四年』で描いた抑圧された社会さえ思わせる。自由の国米国で始まっているのにも驚く。・・・有用だからこそ踏み越えてならない一線が気掛かりになる。向こう側に行かないためにも米国の先駆的な取り組みの先が気になる」。
 (JN) 自分の顔がどれだけカメラに露出急いているのであろうか。世の中、警察の監視カメラだけでなく、コンビニはじめ商品売り場、職場、学校、駅、住宅・・・・・、それに、私たちの持つスマホなどにより、どれだけ勝手に被写体になっているのか。写真写りなど気にしていられない。普通の顔で、あちらこちらに映し出される。更に、自慢でもない自分の写真を自らSNSに晒してしまう。あるいは、そのお友達として、晒されてしまう。大らかな感じもするが、五人組の管理体制が今も息づいているようだ。監視カメラが誰でも見られるとは、国民全員が監視者でもあるのか。いずれは、コンピュータの管理下に置かれるのであろうが、そうなれば、どこからでも監視される社会になろうか。そのような社会を皆様はどう考えますか。これは楽観的に考えていい事なのか。