『無人探査機カッシーニが地球をあとにしたのは1997年10月・・・』

無人探査機カッシーニが地球をあとにしたのは1997年10月だった』<2017年9月17日(日)>
 無人探査機カッシーニは一昨日、土星での最後の仕事を大気圏突入を以て終わらせた。これを『春秋』(170917)で、「このプロジェクトには日本円にして3000億円を超える費用がかかった。飢えや貧困、病気など、お金で解決したり和らげたりできる問題は地上になお少なくない。一方で世界の1年間の軍事費は180兆円を超えている」と伝える。そして「『人工衛星』と銘打ってミサイル発射をくりかえし、あげく『火星』と名づけた大陸間弾道ミサイルを開発している国もある。生身の人間なら耐えがたいであろうカッシーニの20年の孤独を思うと切ないが、どこかうらやましい気もするのである」と。
 (JN) この果てし無き空間、人生があと20年無いが宇宙体験できないであろうか。自分はどんな状態になるのだろうか。音は、光は、上下は? 地球はちっぽけなのだろうか。狭いがゆえに他者を排除し生き残ろうとするのか。そのために軍事を拡張していくのか。政治力は軍事力なりか。軍備は相乗効果を与えるので、その経費がエスカレートして行く。でもこれは不必要な経費である。それよりも、人類の未来には、今生きている者の幸福が必要である。お金がすべてではないが、この商品経済の社会では資金が必要である。180兆円でどれだけの人たちが救えるのか。これによって産業連関はどうなっていくのであろうか。この商品の宇宙を皆が公平に好意的に、住みやすくなるために、地球上での小競り合いのエネルギーを、互いの共存のための生産・流通・分配に変えるべきである。そして、地球の外の宇宙の開発に鎬を削るり競い合うことに向けられないか。