『それぞれにそのときの体験が伝承されるように』

『それぞれにそのときの体験が伝承されるように』
 「ヒロシマのデルタに青葉したたれ」、日経「春秋」(2015/8/6付)は、「キノコ雲の下の地獄をさまよった作家の原民喜の言葉を伝える。また、国立市被爆体験の語り部の育成に取り組みを。「沢村智恵子さん(55)は1期生の一人。広島高師付属中(現広大付属高校)を出た原の後輩にあたる。中学1年だった叔父を原爆で亡くした。『父も亡くなり当時の話も聞けない。自分がやるべき活動だ』と研修を続けている。広島は、今後75年間は植物は育たないといわれたが、その秋には、草が生え、花も咲いた。一粒の種が芽吹けば、生い茂り、やがて地に満ちる。語り部は種まく人だろうか。根気強く、語り続けてほしい。過ちは繰り返さない。思いは世代を超えて、草木のように伝わってゆく。」
 私たちはそれぞれに知り、考えねばならない。戦争によりどんなことが起きたか。それは経験者から聴き考えることが一番だが、あれから70年、それは叶わぬこととなって行く。電子媒体等による記録が大事になって行くだろうが、やはり人から人への伝えて行くことが、心を伝える。私も、父からその模様を伝えられている。防府から田舎へ戻る時、広島を通った。「そこには何もなっかた」と、また、姫路で見た白鷺城が忘れられないと。短い記憶だが、これを未来に伝えたい。そして、戦争を考えたい。(JN)