そんな「虚しさ」を過激思想は巧みにすくい取っていく

(日経「春秋」2014/9/21付) アメーバのごとく変幻自在、筋金入りのゲリラ組織、。それが版図を急速に拡大して国家を「イスラム国」と名乗る。イラクとシリアにまたがる広大な「国」は何を企て、どこへ向かうのか。そして何よりも戦慄すべきは外国からおびただしい数の戦闘員を集めていることだ。1万人を超すそのなかには多数の欧米人も含まれている。スケールは違うが、オウム真理教を思い起こさずにいられない。みんな現実社会の「虚(むな)しさ」からの解放を求めていたと、宗教学者島田裕巳氏は分析している。退屈な日常、閉塞感、孤独……。誰もがさいなまれる、そんな「虚しさ」を過激思想は巧みにすくい取っていくのだろうか。不気味に膨張するその「国」との戦いは、じつはわたしたちの社会のなかの魔物との戦いであるかもしれない。
(JN) 若者は、今を変えようとする。その考え方や方法は様々だ。その行動は、現状をより深く考えて行く中で、なぜ、過激な思想や行動に入り込み、現実からの逃避ともなり、それを正統化していくのであろうか。自分の理想と愛のために、一分子として命を感嘆の投げ出したり、敵とされた者を簡単に抹消することができるのか。誰にもこれに陥る可能性を持っている生物の可能性なのか。抑々、自分たちを守るために、暴力的破壊を持って相手を脅して、殺傷して行くという方法を続ける限り、その繰り返しであろう。これは、イスラムだけの問題か。イスラム国が暴れ、欧米が爆撃を続け、いったいこれを利益としているのは誰だ。この誰かのために、我々は暴力行為を続けている。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO77361480R20C14A9MM8000/