老人に対し生活の向上に努める意欲を促す

(日経「春秋」2014/9/15付) ややこしい話だが、きょうは「敬老の日」であり、「老人の日」である。歴史ある日を動かすとは何ごとか、などと変更には反対する声が強かった。そこで敬老の日とは別に、9月15日を老人の日として新たに指定する妥協策がとられた。祝日ではないが、15日はこれまで通りお年寄りのことを思う日として残されたのである。今年はたまたま第3月曜日が15日だったため、この2つが重なった。老人の日は高齢者に自覚を求めてもいる。法律には「老人に対し生活の向上に努める意欲を促す」との定めがある。たとえば高齢者になっても、仕事やボランティアで活躍し続けることが、素晴らしい人生の一つであるのは間違いなかろう。だがよき生き方を周囲から「促され」れば、抵抗を覚える人がいるかもしれない。2つの日が次に重なるのは2025年だという。この年には団塊の世代がみな後期高齢者となる。医療費や介護費が膨れあがるため「2025年問題」と呼ばれる、まさにその年にあたる。経済の活性化に向けて政府は、高齢者を労働力として活用していく計画らしい。年をとるのもなかなか大変だということになろうか。
(JN) 世の中、敬老ということをこの日だけやれば良いともっているのであれば、今年は最悪で1日しかない。いや、日々、敬老精神を大事にしなければならない。何れ人は年を取る。その時、我が身にその行いが返ってこよう。しかし、通勤時に列車の中では、敬老精神のない若者を後目に、見栄を張って立っている老人を見かけるが、これではいけない。これは、学校で教えて点数を稼ぐようなことではなく、他人としての生き方であるから、家庭や社会が敬老の精神を守って行かねばならない。シルバーシートなどと言うのもあるが、その範囲を超えて私たちは、敬老精神を守らねばならない。一方で、年寄り側は、尊ばれる老人であるためには、どうしなければならないのか。甘えてはいられない。若もには負けていられない。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO77093480V10C14A9MM8000/