水銀による被害と、その克服を経た我々だからこそ

(日経「春秋」2013/10/11付) 「言葉尻だけを捉えるのはつまらない話です」。城山三郎がくぎを刺した。ただ「その人の本質を表すような言葉が出たときには、それはもう容赦なく批判すべきですね」。でも、安倍首相が水俣条約の会議に寄せたメッセージで「水銀による被害と、その克服を経た我々だからこそ、世界から水銀の被害をなくすため先頭に立って力を尽くす責任がある」と述べた。これはどうであろうか。「原発の汚染水はコントロールされている」という五輪招致演説に重なる。国際舞台で、外向けに、日本の実力を誇って胸を張る。見えを切る姿は頼もしくさえあるのだが、国内で現にいま苦しんでいる人々へのまなざしが感じられない。その公式発言に「コントロール」や「克服」が紛れ込む。二語に共通する何ものかは「言葉尻」なのか。いや、どうしても「本質」と思えてならないのである。
(JN) 水俣被爆も、被害差の一部は差別を受けながら隠し通すなど、今も克服されていない。でも、安倍首相の中では、多分克服されているのであろう。原発もコントロールされているのである。そう考えれば、彼は嘘つきではないが、そんな基本認識の無い首相では困る。これでは自民党員も、嘘つきになりたくないというわけである。要は本質を避けて、言葉で問題をかわそうとしているのである。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO60949580R11C13A0MM8000/